大きな独り言

ありのままいる場所。

図々しくなりたい

今月のコンクールの用意をしている。一度も出したことがない。自分の今の仕事的にも、少々敬遠していたけど、今回はちゃんと出して、実力を評価されたいなと思っている。

大学生の時から温めていた構想があった。最初は舞台にしようと思ってたけど、上手く思いつかず、今になって映画として考えてみたら筋が見えてきた。それを信じたいと思っている。

図々しくなりたい。もっと自分の力を信じて、世間に伝えたい。そのために、努力をしなくてはと思っているのかもしれない。今年は10月まで絶え間なくコンクールが訪れる。これはチャンスの多さを意味しているけど、一方で本当に息苦しい。それでも遊んだりする時間をなるべく削って向き合いたいと思っているのは、本当に自分を変えたいからなんだと思う。

坂元裕二古沢良太の密着を見返していた。二人とも雲の上だと思いがちだけど、書けるまでに費やす時間は凡人の私と同じように長い。それを見ていて勇気を貰った。書きたいものを見失った八年を過ごした坂元さんと、自分のことをペテン師だと呼ぶ古沢さんを見ていて、私の目指している場所は本当に孤独だなと思ったりもした。

最近になって判らない。もちろんこの夢は紛れもなく呪いだけど、自分のことが可哀想に思えてきた。今はまだ向いているかどうかも見えず、ただただコンクールの結果に傷つき続ける日々を送っている。こんな人生は合っているのだろうか?

最後に自分の作品を形にして客前に出したのは大学一年で書いた「ばらばら」である。それ以降は何も形にしてこなかった。コンクールに出しては落とされ、データとして自分のPCに溜まり続けている。社会人2年目で「生きてゆく約束」という作品集を作り、KDPで無料で販売した。販売ページに感想がついたり、ネット上で感想が送られてきたりして久しぶりに「届いた」という感覚を得た。

大学一年で「ばらばら」の公演を終えた時、母親と深く話し込んだ。その時に私の居場所は大学の演劇にはないから、スクールに自分のお金で通って、コンクールで実力を伸ばし、なるべく早くデビューすると言った。それからはスクールの先生か、生徒達、もしくはコンクール選考員しか私の作品を読まない生活が当たり前になっていった。だから、作品集を出したときに得た「届いた」と言う感覚はとても幸せなものだった。作品は届けなければ意味がないと言うことに、そんな当たり前のことに三度気付かされた。

この間、師匠に言われた。「誰かに読まれて、純粋に面白いねって言ってもらうこと、最近してる?」恐ろしいほどの人間への洞察力に恐くなった言葉だった。

私に足りていないのは、自分の作品を届けることだと思う。本当に強く思っている。

「ばらばら」をやっている時、内容は簡単に言えば仮面家族の話で、登場人物は一人を残して皆が闇を抱えている設定だった。その時、役者を必要以上に追い込んでいて、その中の一人の子にとても嫌われたなと言う感覚があった。彼女は本当に才能があった。私も初めて自分で舞台を作って、とてもとてもギリギリで、その事実に心から傷ついた。私には団体での作品は向いていないんだなと思った。三谷幸喜宮藤官九郎に憧れて生きていた私にとって、「劇団」と言うものに向いてないと気づいた瞬間は心底絶望だった。

何の話をしたいんだっけ?

とにかく、自分が書いた作品で嫌われる。こう言うことが何回かあった。というか、今まで作品として形にしてきたもの達はどれもがそういう側面を持っていた。6割に凄いねと言ってもらえる側で、確実に4割に嫌われた。でも脚本家になったら、これからもそうなんだろうなと思う。だからこそ、自分はこの職業を本当に目指していて、幸せになれるのかな?と思うのだ。。。

話があちこちにいって、今日はすみません。

笑の大学」で椿一と向坂が検閲室を台本を持って走り回る。その幸せそうな、たったそのワンシーンで、私の人生は決まった。でも、現実では私は自分の書いた本で確実に誰かに嫌われたり、マイナス感情も生み出しているのだということ。

最近はそれに心が折れている。図々しくなりたい。