大きな独り言

ありのままいる場所。

暗雲

神戸のあの事件から25年の節目らしい、ということからまた色んな遺族の涙を見続けてしまい、泣いている。

昔から私は極悪事件とかを調べたりする癖があり、それは私の探究心の強さを証明してきた。九州監禁が最も気持ち悪くなった。

暗雲立ち込めたまま、心が晴れない日々が繰り返される。なんてことないはずの日常もなんだか漠然と悲しい。

目の前で話す相手が、自分の傷を知らないのだなと強く思ってしまう瞬間が時折やってきて、首を絞めてくる。

救われたい救われたいと思ってしまって、思うことは罪でしょうか?

何もかもが中途半端だけど、フランシスみたいに雑多なNYを自信満々のステップで走り抜けてみたかった。

根拠のない自信ばかりを抱き締めていたかった。

現実をたくさん見てきた。中1で初めて映画を撮って教師と揉めた。高校では自主映画団体に入り、歳の離れた俳優と自分の作品を撮ったが、受験と上映の両立に挫折し、YouTube公開止まり。学芸会の劇も2本書いたが、同級生からは人気がなかった。大学で演劇サークルに入って、居場所がないなと思って、公募に応募する生活を始めて、事務所に引っかかった。わずか3ヶ月だったが、血眼になってプロットを出し続け、某局のPにコテンパンに言われて育成枠をクビになった。そして就職した。

現実という刃、鋭い矢たちがぐさぐさに突き刺さって今がある。弁慶の最後、のような。

褒められても人を信じれないし、貶されたら絶望が一気に押し寄せダメになってしまう。

それでも諦められないという一点だけで、この人生を生きている。

救われたいと願うのは、駄目なのでしょうか。