何も掴めてない
何も掴めてないけど、とにかく休みの日を書くことに充てて苦しくなって最近は死んでる。どんなに結果が出なくても、努力もしてないと自分をぶっ殺してしまいそうだ。でも結果は出ないから結局何も残らずに辛い。
正攻法ばかりを並べて、既視感のあるストーリーを並べて、胸を打つような事がないものは書けないし、書きたくない、、、
しかし何も掴めてない。
恋人の選び方も夢への向き合い方も、自分の思う型になんだかガチガチに縛られていて頑固で不器用で嫌になる。
でも恐らく、私はこの生き方でしか進めないんだろうよ。
それでもこの世は生きるに値する
劣等感は消えない
満たされない気持ちは消えない
温かった故郷は遠いし
持っている想いは大事なあの人に届かない
毎日は短調で、同じような時間が繰り返されては日々が消費されていく
楽しいはずの時間にも虚しさは背後に迫ってくる
そんな自分を責めたりもするし
未来を見ると夜は眠れない
幸せは幻想のようで、永遠に儚い
それでも
それでもこの世は生きるに値する
いつか私もそう伝えられるものを書けるように頑張って生きていこうと思います。
図々しくなりたい
今月のコンクールの用意をしている。一度も出したことがない。自分の今の仕事的にも、少々敬遠していたけど、今回はちゃんと出して、実力を評価されたいなと思っている。
大学生の時から温めていた構想があった。最初は舞台にしようと思ってたけど、上手く思いつかず、今になって映画として考えてみたら筋が見えてきた。それを信じたいと思っている。
図々しくなりたい。もっと自分の力を信じて、世間に伝えたい。そのために、努力をしなくてはと思っているのかもしれない。今年は10月まで絶え間なくコンクールが訪れる。これはチャンスの多さを意味しているけど、一方で本当に息苦しい。それでも遊んだりする時間をなるべく削って向き合いたいと思っているのは、本当に自分を変えたいからなんだと思う。
坂元裕二と古沢良太の密着を見返していた。二人とも雲の上だと思いがちだけど、書けるまでに費やす時間は凡人の私と同じように長い。それを見ていて勇気を貰った。書きたいものを見失った八年を過ごした坂元さんと、自分のことをペテン師だと呼ぶ古沢さんを見ていて、私の目指している場所は本当に孤独だなと思ったりもした。
最近になって判らない。もちろんこの夢は紛れもなく呪いだけど、自分のことが可哀想に思えてきた。今はまだ向いているかどうかも見えず、ただただコンクールの結果に傷つき続ける日々を送っている。こんな人生は合っているのだろうか?
最後に自分の作品を形にして客前に出したのは大学一年で書いた「ばらばら」である。それ以降は何も形にしてこなかった。コンクールに出しては落とされ、データとして自分のPCに溜まり続けている。社会人2年目で「生きてゆく約束」という作品集を作り、KDPで無料で販売した。販売ページに感想がついたり、ネット上で感想が送られてきたりして久しぶりに「届いた」という感覚を得た。
大学一年で「ばらばら」の公演を終えた時、母親と深く話し込んだ。その時に私の居場所は大学の演劇にはないから、スクールに自分のお金で通って、コンクールで実力を伸ばし、なるべく早くデビューすると言った。それからはスクールの先生か、生徒達、もしくはコンクール選考員しか私の作品を読まない生活が当たり前になっていった。だから、作品集を出したときに得た「届いた」と言う感覚はとても幸せなものだった。作品は届けなければ意味がないと言うことに、そんな当たり前のことに三度気付かされた。
この間、師匠に言われた。「誰かに読まれて、純粋に面白いねって言ってもらうこと、最近してる?」恐ろしいほどの人間への洞察力に恐くなった言葉だった。
私に足りていないのは、自分の作品を届けることだと思う。本当に強く思っている。
「ばらばら」をやっている時、内容は簡単に言えば仮面家族の話で、登場人物は一人を残して皆が闇を抱えている設定だった。その時、役者を必要以上に追い込んでいて、その中の一人の子にとても嫌われたなと言う感覚があった。彼女は本当に才能があった。私も初めて自分で舞台を作って、とてもとてもギリギリで、その事実に心から傷ついた。私には団体での作品は向いていないんだなと思った。三谷幸喜と宮藤官九郎に憧れて生きていた私にとって、「劇団」と言うものに向いてないと気づいた瞬間は心底絶望だった。
何の話をしたいんだっけ?
とにかく、自分が書いた作品で嫌われる。こう言うことが何回かあった。というか、今まで作品として形にしてきたもの達はどれもがそういう側面を持っていた。6割に凄いねと言ってもらえる側で、確実に4割に嫌われた。でも脚本家になったら、これからもそうなんだろうなと思う。だからこそ、自分はこの職業を本当に目指していて、幸せになれるのかな?と思うのだ。。。
話があちこちにいって、今日はすみません。
「笑の大学」で椿一と向坂が検閲室を台本を持って走り回る。その幸せそうな、たったそのワンシーンで、私の人生は決まった。でも、現実では私は自分の書いた本で確実に誰かに嫌われたり、マイナス感情も生み出しているのだということ。
最近はそれに心が折れている。図々しくなりたい。
続・憧れはまだ遠く
今日も憧れの書き手と会った。ひとまずレギュラーメンバーに加えてもらったので、暫くは月一ほど会うことになる。
「君はコンクールじゃない気がするなあ」って言われた。また言われた。
「1人で頑張り続けるのってしんどくない?」しんどいよ、とてもしんどいし誰かに読んでもらって簡単にいいねって言われたいさ。
でも、何より、書けないやつのまま、ウジウジ物を言っていたくない。
今はコンクールが一番辛いので、呪いのようにコンクールに当たってって、砕け続けている。それが上手くなる道であるとも信じる。だって吐きそうになる程、毎回辛いから。そのくらいの対価がないと。
今書いているものは、なるべく楽しく書く。楽しく書けないと、次のステージに上がれない気すらしている。
「貴方を見ているとおじさんも辛くなってくる」って言われた。憧れは私の中に何を見ているんだろう。
灼熱の太陽の元をロードバイクですいーっと現れて、すいーっと消えていった。ふくらはぎの筋肉が浮き出ているのを、時たまぼうっと見つめた。
私は憧れを美化し過ぎているのかもしれない。そしてそれは私のクセなのかもしれないね。
「賞を取れたら何が変わると思うの?」と言われて、「何にも変わらないかもしれませんね」と返した私の言葉は、恐らく心についてを言っていた。あんまり書くことを楽しいと言えたことがない。褒められるし、書くことは命の支えだけど、本当に楽しい時はほぼない。それでも諦めないのは、楽しくないとやってはいけないと言うこともないから。
憧れはまだまだ遠いが、今日も私は深海をもがく。
vs現在思考バイアス
今年は地上波のキー局が続々とコンクールを復活させた。つまりはチャンスが増えたと言うことで、現在思考バイアスと闘う夏にしようと思う。先程、私の1番の神の前で誓ってきた。
良いものを一つでも多く書いて、それで命を燃やしたい。
悶々
新頓服、エレトリプタン。効き始めはうだうだとするが、 効くとちゃんと効くし長く効く。本日も効いた。えらいぞ。。。
6月の公募、提出を遂げることが出来なかった。
自分を責めるのはやめて次に進もうと思っている。
まだまだ仕事との両立が難しい。
学生の時にも私は色々と理由を付けて逃げてきた。 そのツケが今きっちりと回ってきている感じがする。
ゲッターズを一旦信じることにしたので、 導かれるものにお金と時間をかけて生きていますし生きます。
メンテナンスにお金をかけた甲斐があり、 腸以外の調子は非常に良い。
日々、悶々悶々としている。
自分の憧れ、人からのありがたすぎる期待と、今の実力、、、 言い訳は沢山頭に浮かび、 逃げ道は常に私をいざなおうとそばに生まれていく。
本当にちゃんと、作品集を作ろうと思っている。
納得いくタイトルが出来たから。
今年中に、必ず。
まだ点滅に戻るだけ、面白かったなあ。蓮見ってほんとにすげえ。