私たちは何者でもない
道玄坂を下りながら抑えられない興奮の行き場を失って空中を殴った。
『天日坊』で中村勘九郎丈扮する法策が「俺は誰だぁ」と叫んだその嘆きが最後には人間とアイデンティティの関係を見事に暴いてしまった。
私たちは何者にもなれないのかもしれない。誰から産まれたかだけがはっきりするが、法策には最後までそれもはっきりと残らなかった。
アイデンティティの果てなきまでの喪失と無の境地、の成れの果てで謀反を起こして死にゆくアウトロー達をジャズ音楽が盛り上げる。
串田和美にしてやられた、完敗だ〜お手上げだ〜宮藤官九郎にまたやられた、心から敬愛している。
「いや〜面白い、面白すぎる」とブツブツ呟き歩いていたら普段は寄ってくる渋谷の不審な男たちも散って行った。変人でごめんなさい!!!
河竹黙阿弥が書いた「五十三次天日坊」を150年ぶりに復活させ、僅か3時間余にまとめ、ここまで面白いだと!?
そんなことあってたまるものか...
脳天をグーで殴られて放心のうちに家に着いてしまった。歩き足りなかった。
演劇がある限り、人生はちょっと面白い。それを今夜も思い知らされた。