大きな独り言

ありのままいる場所。

ぬくもり

人生で一度だけ泣けるほどのハグを受けたことがある。それはカンボジアの小学校まで体育を教えるツアーに参加した時。3日間くらいのプログラムを終えて通っていた小学校の生徒に別れを告げていたら、ある女の子が私の元に来てぎゅうううっときつくハグをしてくれた。その全身から伝わる「まだここにいて!」のメッセージに私は思わず泣いてしまった。

それ以降、強烈に誰かに必要とされた日は未だにない。その女の子にとって、私たちが帰ることはもの珍しく楽しい「体育」の体験が切り離されるように感じたのだろう。カンボジアの子供たちはよく働く。週に2回ほどしか学校に通えないほど、家族を手伝うと言う。学びたいものを満足に学べない環境。いくら想像してもしっかりと分かることはないだろう。

その女の子もまた、泣いていた。私は「ありがとう、オークン」と言って頭を撫でた。

旅とはいつも強烈な風景や感触をもたらしてくれる。そして多くは日本ではないとびきりの異国で。私はアジア人とまとめられ軽く見られる欧米に行くのが苦手だったけど、カナダで逞しく移民をするフィリピーナの家にホームステイしてそれもまた少しずつ解けた。

カナダではインディアンの結婚式に出席した。動画を撮影して記録映像としてまとめるお駄賃として、中華料理をご馳走になった(文化の混在!)

2019年の秋に行ったヨーロッパ列車の旅も楽しかった。イギリスだけEU外って言うのを、パスポートチェックで体感するという...。

今週はなんだか漠然とした不安に包まれていて、たまらず月末の京都旅行を企画した。桜の季節に京都へ行く。日本の旅はいつも私に癒しとリフレッシュを与えてくれる。

小山田咲子さんの歳に追いついて再三思う「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」と言う本の素晴らしさ。1人でも多くの人に手元に置いておいてほしいので、興味を持ったら私にすぐに連絡をして欲しい。偽Amazonと化して片っ端からプレゼントする。

そんな本から引用。

『私たちにはたぶん、居場所が必要だ。できれば小さな自分の部屋や作られた物語の内側だけじゃなく、生きている人の手や心の中に。あるいはどこか果てのない広い世界の真ん中に放り出されて見つかるか。私たちはみんな宿命的に自分以外にはなれないのに、自分が自分である重さを実感として手に入れるために必死にひとりになろうとしたり、逆に誰かに必要とされようとあがきながらしか生きていけないのは、せつない。』

旅も平和でないと出来ないのです。ウクライナに栄光あれ。