大きな独り言

ありのままいる場所。

フランシス・ハ

ノアバームバックの「フランシス・ハ」が大好き。テーマ曲はデビット・ボウイの「Modern love」。ちょいダサな純粋真っ直ぐニューヨークガールがジタバタする話、なんだけど私にはお守りである。

サンライズ出雲という寝台列車に乗りたくて、一人旅をしてきた。

Bシングルという切符の個室はベット幅+αくらいの広さがあり、使いやすかった。ソロだとベット幅でほぼいっぱいらしいからキツかったと思う。

意外にもぐっすり寝てしまい、目覚めたら岡山だった。サンライズ出雲は岡山で切り離しを行う。その車内放送が煩くて起きた。

車窓の外は大雨で空は灰色く白んでいて、すぐに頭が痛んだ。鎮痛剤を迷わず飲むが、出雲市駅に降りてすぐにめまいが止まらないことに気づく。めまい、というか揺れ。永続的揺れ。それはちょっと下を向くと酷くなった。

ええいと気合を入れて出雲大社へ参拝に行き、一通り参ったあとの出雲そばの店でその目眩は更に顕著に襲ってきた。

ぐらんぐらんがたんがたん、とまるでまだサンライズ出雲の車中だ。

蕎麦屋を出てもぶらつく気にはなれなかった。大雨だし、生涯初くらいの大めまいだし。そこで行きたかった珈琲屋に向かうと閉まっており、泣く泣く向かいの珈琲屋に入った。しかしそこが当たりだった。ぜんざいロールが絶品で、ブレンド縁も最高。

最近は鎮痛剤節約のために、薬無しで頭痛を抑える方法をいくつか試していて、その中に「適量のカフェインを摂る」とある。いつも悠々適量を超える私のカフェイン中毒だが、朝起きて痛みが出た日は堪えてカップ一杯にする。すると結構効いていい感じ。このブレンド縁も効いた。

大雨の中、玉造温泉に行くのか迷いながら一畑電車出雲市へ戻る。乗る予定のやくもが運休になってなければ腹を括って行こうかなと思い、戻ると全くの正常運行で意を決して玉造温泉へ向かった。

駅に着いてバスに乗り継ごうとするもバス停がない。とりあえずGoogleの示す位置で待つとバスが来たので大手を振って止めた。運転手に「乗車位置もっと前なんでね、あのポール見えるでしょ?あそこですから」と軽く怒られつつ乗る。それで何とか玉作神社、叶い石をやり、玉造温泉ゆ〜ゆに入ってとんぼ帰り、ほぼ1日の旅だった。

嵩んだ交通費は目を瞑ろう。

それで道中、考えていた。「あ〜私ずっと、フランシスみたいになりたいんだな」って。クソ真面目なこの根底をぶち壊したくて、お酒を飲んだり旅に出たりしている気がする。もっと自由に生きてしまえたら。

周りが口に出すほど私は自分に自信が持てない。仕事が出来るとか言えないし、文才があるとも言えない。それは周りが決めることだ、と厳しい方を心が選択してしまう。なにこのクソ真面目〜いい加減にしろよ、と私自身がよく思う。

出雲大社の大雨と、その後の大めまい。何か強烈な意味があると思っている。今間違いなく、神仏は私の背中を押そうとしていて、私はそれに信心で応えていく。

決まった宗教は持ってないが、私には常に神ならいる。実態のはっきりしない神だが、常に私の味方になろうとしてくれる。偶然を集めてトンッと背中を押してくれる。私は私の神を大事にする、だからみんなもそうすると良い。

母がひどく酔った様子で千鳥足のうちに帰って来た。久しぶりに仲間と呑めたみたい。

自由になりたい。それは肉体的にそして精神的に、私という逃れられない個体から。それは生きてゆく限り叶わないが、それで良い。それが願いではなくて、逃れられない個体をこれからどう逃れたくない個体へと成長させられるか、とそこにかかっている、かも。

出雲近辺をあーでもないこーでもないと頭を痛くさせながらぐるぐる回遊し、そんなことを考えていた。